菅原昇 氏 連載コラム①

こちらの記事は2022年8月に弊社がインタビューを実施した内容をまとめたものです。

 実は私、アスベストの分析に関してはど素人だったんですよ、数年前までは。それまでは秋田の分析機関で長年、環境測定の仕事に関わっていました。それがアスベストに関わりを持ち始めたのは、ようやくアスベストが世間的に環境問題として語られるようになったからなんです。最初は日環協で、アスベスト分析者を育てる講習会の事務局を担当していました。毎年数回技術者を集めて、顕微鏡を見せて、技術の向上を図る、そんな仕事です。なのでそこで受講した技術者の方は、今でも私のことを覚えていてくれます。一方で分析機関に所属しながら、大学、全国のシンポジウム、各地の勉強会などで講師もやっていました。そういった経験が今の私を支えてくれています。

  日本での大きな被害事例で言うと、地震です。記憶に新しいのは阪神淡路大震災で倒壊したビルや高速道路の高架橋などには、当然アスベストが含まれていて、それが飛散して...ということが多々ありました。当時、がれき処理などして、急性の肺疾患(中皮腫、肺がん)で、亡くなられた方もいました。 中皮腫は被ばくしてからの発症までの潜伏期間が約40年間といわれ、阪神淡路の震災からまだ28年しか経っていませんし、東日本大震災も時間とともに中皮種の発症例が出てくるでしょう。津波でアスベスト含有建材が破壊されたことで、アスベストが飛散しています。ただ、阪神淡路の教訓が活されて、被ばく者の数は減っていると思いますが、それでも、あと何十年後かには発症事例が出てくるでしょう。日本で欧米並みのアスベスト対策が本格的に始まったのは驚くことに、まだここ2〜3年の話なんです。 

 熊本地震 (2016年) の直後、環境省の委託事業で大気中へのアスベスト飛散の現地調査で、熊本市や益城町へ現地入りした時は、特に記憶に残っています。多くの家屋や道路などが倒壊したままで、 避難所とかもまだパニック状態になっているところに我々が東京から調査に入ったので、担当する役場の人たちと意見が衝突することが多々ありましたね。彼ら自身も被災当事者で避難所生活を強いられていたので、向こうからすると調査よりもまず衣類や食料確保など、寝ずに住⺠対応をしなければという状況でもありました。また彼らの多くがアスベストについて何も知らない状況で、別に地震などが起こらなければ、アスベストなんか興味もない、そのような現状に大きな衝撃を受けたことを記憶しています。(続く)